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肥前一宮
旧国幣小社

千栗八幡宮ちりくはちまんぐうは、聖武天皇の神亀元年(724年)当時の肥前国養父郡司壬生春成みぶのはるなりがご神託を蒙り創建したと伝えられています。
古来、宇佐神宮の別宮として聞こえ、平安時代には式外五所八幡別宮(大分宮、千栗八幡宮、藤崎八幡宮、新田神社、鹿児島神宮)として朝廷からも篤い尊崇を享けていました。
また全国に一宮制が確立していくとともに、当宮も肥前一宮と称されるようになり、南北朝の時代になると当宮の西に千栗城ちりくじょうが築かれ、戦国時代には神域もたびたび戦乱に巻き込まれ社殿も幾度か焼失しましたが、天正十一年(1583年)龍造寺政家がこれを再興、鍋島の代になると藩祖鍋島直茂は慶長三年(1598年)に社領二百石を寄進、また神社表坂下に現存する石造りの肥前鳥居(町重要文化財)を慶長十四年(1609年)に奉納、以後明治維新に至るまで鍋島家累代の尊崇を享けています。
明治三十六年県社に、昭和十五年には国幣小社に昇格し今に至ります。

千栗八幡宮ご創建の由来〜神恩の鳥〜


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千栗八幡宮 名誉広報部長のオカメです

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