名越祭を斎行しました

八月一日、早朝より名越祭を斎行しました。

名越祭は夏越とも言われ、一年の前半の穢れなどを祓い疫病や落雷などの夏の災厄を退けるおまつりで、多くの神社では六月末日に行われることが多いようです。

千栗八幡宮では、旧暦に近い八月一日を名越祭に定め、皆で茅の輪をくぐって穢れを祓い一年の後半の平穏無事を祈りました。

茅の輪くぐり
茅の輪くぐり

禰宜より、蘇民将来の古事について話しがあったのち、祓いの儀を行い皆で鳥居に掛けられた茅の輪を左回転、右回転、左回転で三度くぐりました。

備後の国の風土記にいはく、疫隈(えのくま)の国つ社。昔、北の海にいましし武塔(むたふ)の神、南の海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。その所に蘇民将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚貧窮(いとまづ)しく、弟の将来は富饒みて、屋倉一百ありき。ここに、武塔の神、宿処を借りたまふに、惜しみて貸さず、兄の蘇民将来惜し奉りき。すなはち、粟柄をもちて座(みまし)となし、粟飯等をもちて饗(あ)へ奉りき。ここに畢(を)へて出でまる後に、年を経て八柱の子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、奉りし報答(むくい)せむ。汝(いまし)が子孫(うみのこ)その家にありや」と問ひ給ひき。蘇民将来答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍り」と申しき。即ち詔たまひしく、「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の隨(まにま)に着けしむるに、即夜(そのよ)に蘇民の女子一人を置きて、皆悉に殺し滅ぼしてき。即ち詔りたまひしく、「吾は速須佐雄(はやすさのを)の神なり。後の世に疾気(えやみ)あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。(釈日本紀 巻の七)※Wikipediaより引用

意訳:神様が北から南へ旅をする途中、日が暮れたので一夜の宿を頼もうと、通りがかりにあった蘇民将来兄弟の家を訪ねた。先に訪ねた弟は裕福だったがこれをつっぱね、次に訪ねた兄は貧しかったが丁寧にもてなした。神様は後日、兄の子孫には茅の輪を授けて腰につけるように言い、茅の輪を持たない弟の子孫は雷に打たれて滅ぼされ、以降も茅の輪をつけた蘇民将来の子孫は災厄から逃れられると言われた。

茅の輪くぐり
茅の輪くぐり
茅の輪くぐり

午後からは、地元の小中学生による奉納剣道大会が境内で行われました。

剣道大会

優勝者にはそれぞれ、千栗八幡宮より表彰状が授与されました。

千栗八幡宮杯

最後に集合写真をパチリ。

暑い中、元気な声が境内に響き、応援している大人たちにもたくさんの元気をもらえました。